Kurasako's Diary

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2004/10/26  火曜日
e-STATION BBの会議の後、羽田空港へ。着陸できるか心配されたが、
無事、宮崎に帰る。

そろそろ助成金申請シーズン。託児企画は流したものの、
さて、その他の企画をどうするか。朝まであれやこれやと考える。

2004/10/25  月曜日
久々に昼間、時間が空いたので、たまっていた懸案事項を家でどんどん片付ける。
うー、だいぶすっきりしたぞ。ホントに時間が足りんなあ(遠い目)。

夜は浜田山で稽古。なんとラストシーンまで段取りを組み終わってしまった!
おお、順調すぎるくらい順調だ。予定通り、今週末には通せそう。
そうすると残り一週間、完成度を上げることに費やせるな、よし。

稽古後、明大前で棚川さんと会って『夢乃プレイ』の精算。
さらに田丸さんから『こゝろ』のDMハガキのデザインを見せてもらう。
公演一週間前の到着とかになるけど、DM送ります。レアものです。お楽しみに。

2004/10/24  日曜日
ミスコンテストの審査員をするため、13時30分に学習院女子大学へ。
14時からそのミスコンである「THE 和(やわらぎ)」がやわらぎホールで開始。

ここで私、懺悔します。「THE 和」を単なるミスコンだと思っておりました。
さすが学習院です。いわゆるミスコン的な軽薄なものでは全く無く、
サブタイトルに「The Pride of GWC」とあるように、
まさに「学校の誇り」となるような人材を表彰するイベントでありました。

特技披露では、ドイツ語でのスピーチあり、歌舞伎の一幕あり。
国際コミュニケーション学科と日本文化学科を備えた学女らしいと合点がいくもの。
そして出場者よりも印象的だったのが、運営スタッフの働きぶり。
文字通り縁の下の力持ちとして、走り回っておりました。
「へえ」とまたまた感心。学女生、見直しました。素晴らしい。

「国際」と「伝統」を重んじる学習院女子大学でBeSeTo演劇祭が開催されるのは、
当然の流れだったのかもしれません。彼女たちが運営チームとして
どんなホスピタリティを発揮してくれるのか、楽しみです。

ところでなぜ学女がBeSeTo演劇祭の会場になったのか、
その経緯をここに記しておきたいと思います。
「主会場である早稲田大学に近かったから」だけではけして無いのです。
春の利賀フェスに訪れた人は知っていると思いますが、
ここ数年、毎年学習院女子大学の学生20名近くが、
授業の一環として利賀に来て、演劇祭の運営を体験しています。
そうした学生の中から演劇界と深く関わる人も出てきており、
また今年からアーツマネージメントの大学院も始まりました。
そうした蓄積を受けての、今回のBeSeTo演劇祭の開催なのです。

たまさか昨年の春フェスから僕が学女担当になったもので、
今年のBeSeTo演劇祭の早稲田開催の話が出たときに、
「これはぜひ学女も巻き込みたいな」と思って、話を振ってみたところ、
やわらぎホール完成のタイミングとあいまってトントン拍子に話が進みました。

まあ、そんなわけでBeSeTo演劇祭が学習院女子大学でも行われることになったのです。 

2004/10/23  土曜日
今日と明日は学習院女子大学の学園祭。部外者でも出入り自由らしいので、
午前11時に俳優・スタッフと待合せて、『こゝろ』の公演会場である
「やわらぎホール」を見に行く。・・・はずが、中央線で人身事故。
20分も電車が止まり、僕が着く頃には皆、見終わった後だった。

学食や楽屋となる予定の教室などを案内してから、
サイゼリヤで田丸さん、照明の木藤さん、舞台監督の弘光君と美術打合せ。

俳優は13時から浜田山で自主稽古。僕は美術打合せの後、花組芝居を観劇。
17時から稽古に合流し、作品の冒頭から段取りを組んでいく。
自分のアタマがぐいんぐいん回転しているのがわかる。
こういうときは作るのが早い。目指せ、一週間後の初通し!

稽古後、三村さん、田丸さんと韓国料理。お、なんか元気出たかも。

2004/10/22  金曜日
e-STATION BBのオンエアの後、東高円寺で稽古。今日も読合せ。
こうやって読合せをしていると、だんだん初演の頃の記憶が蘇ってくる。
当たり前かもしれないが、当時とは自分の興味関心は全く変わっている。
そのことに気付くのが、妙に楽しい。

他人が書いた本を同じように、相当突き放して台本を扱うことができそうだ。
だから演出も初演とは大幅に変わるはず。
初演は台本の世界をひたすらストイックに立ち上げた。
そのストイックさは尊いものだったと今でも思うが、
同時にやはりあれは習作でしかなかったのだと今ならわかる。
興味があったのは自分の世界観の実現や新しい手法の発見にだけで、
お客さんの生理のことなどには目がいってなかった。
その意味で当時の僕はまだアマチュアの演出家だったのだと思う。

まあ、何を尊いとするのかは人それぞれだが、
ストイックさをストイックにしか見せることができないうちは
マニアックな世界の住人でしかない。
もちろんマニアックであることを是とする人を僕は否定しないが、
マニアックな世界の住人には革命は起こせない。

2004/10/21  木曜日
寝ました。だいぶ復活。家の片付けや書類の整理をする。
部屋も気持ちもちょっとすっきり。

17時30分ににしすがも創造舎へ。『昏睡』についてHさんと打合せ。
『昏睡』東京公演まで後4ヶ月。打合せ内容もかなり具体的になってきた。
人と話をすると、頭の中で色々煮詰まってたことが整理されて良い。
気付けば観に行こうと思っていた芝居の時間を過ぎていた。

アタマがだいぶ働き出したので、西巣鴨から田丸さんに電話。
下北沢で待合せて、『夢乃プレイ』の美術プランやDMデザインについて打合せ。
結局、シャノアールで夜10時過ぎまでミーティングをしてしまった。

帰宅すると、明後日行われる学習院女子大学の学園祭「やわらぎ祭」での
ミスコン審査員依頼のFAXが来ていた・・・。ええ、やりますよ、やるさ。

2004/10/20  水曜日
今日は15時からゼロアワーの収録。ということで、14時にJ-waveへ。
収録は順調に進んだものの、30分番組5本分だけにそれなりに時間がかかり、
終わったのは19時30分過ぎ。はああ、皆様、お疲れ様でした。

今日は19時から『こゝろ』の稽古があったので、
さあ、今から向かおうと思ったら、外は台風で大雨。
情報を確認すると、これからますますひどくなるとのこと。
駅で確認すると、すでに何本かの電車は止まっているらしい。
帰れなくなる人が出てくるとヤバイと思い、
俳優に稽古を中止してすぐ帰るように連絡。
今年、僕の演劇活動は台風にたたられっぱなしだ。

家に帰って、いろいろやらねばならぬことに思いを馳せるが、
全くと言っていいほど、頭が働かない。
とにかく明日のために今日は寝ることにする。寝るぞー!

2004/10/19  火曜日
朝起きたら、ひどい疲れ。演劇人会議のNさんに電話をして、
学女での打合せをパスさせてもらう。
しかし、BeSeTo演劇祭の定例の運営会議には出席しなければならない。

定例会議は話し合うべきことが多くて、2時間や3時間があっと言う間に過ぎる。
これだけ話し合っても、不手際あるだろうし、不安は完全には払拭されない。
まったく、演劇祭を運営するのは大変だ。

会議に次はまた会議。15時過ぎからe-STATION BBの会議に出席。
その後、19時30分から上野でク・ナウカ『アンティゴネ』を観劇。
どしゃ降りの野外。配布された雨カッパが小さくて困ってたら
知り合いの女優さんが着ていたポンチョを貸してくれた。助かった。
あれが無かったら、きっととんでもないことになってたのは間違いない。

終演後、同じ回を見ていた三村さん、三条会の関さんと上野の飲み屋へ。
『四谷怪談』の時に通っていた店。焼酎のお湯割りで暖をとる男三人。
それぞれ自分の公演が終わった開放感があったからか、なんだか楽しく飲む。

ま、三人とも来月にはまたまた本番なんだけどね(笑うしかない)。

2004/10/18  月曜日
13時までにゼロアワーの原稿2本終了。残り後1本だが、うきー、
今日は14時30分から学習院女子大学やわらぎホールの二度目の下見会なのだ。
俺が行かないってわけにもいかないもんなあ。

時間ギリギリだったので、高田馬場からタクシーで駆けつける。
下見は照明や音響など施設担当者が来てくれたので、
いろいろなことがはっきりした。同時に問題点もいくつか判明。
基本的に「毎日、授業のために現状復帰をしなければならない」。
これが問題だ。ま、でも、なんとかなるだろう、っていうか、なんとかするさ。

16時過ぎから高田馬場のルノワールで明神さんを待ちつつゼロアワーの続き。
ディレクターから電話があって「今日の18時がデッドラインです」と告げられる。
あはは、ホントにギリギリだ。

17時に明神さんが来て『夢乃プレイ』精算の話。
明神さんはこの後、ク・ナウカの公演を観に上野に行くとのこと。時間があれば色々話をしたかったが、事情を説明し、作業に没頭させてもらう。
明神さんは明神さんで自分の仕事をしている。どうなんだろうか、
二人の演出家がルノワールで向かい合って黙々と仕事をしている図というのは。

その甲斐あって、17時50分、無事5本目を書き上げ、メール送信。
ふーっ、なんとか間に合いました。けっこう今回はきつかったかも。
その後、明神さんと少しだけ話して、稽古場へとむかった。

そう、今日から『こゝろ』の稽古が始まるのだ。小屋入りまで後三週間しかない。
東高円寺の稽古場に集まったのは、僕と三村さんと岡田君と三橋さんと市川さん。
三村さんと市川さんはこれが初顔合せ。どうなるのか楽しみ。
改めてBeSeTo演劇祭の主旨や今回公演の狙いなどを話していると、
今回の衣装・美術をやってもらう田丸さんも合流。読合せを見てもらう。

三週間しかないが、非常にスリリングな作品にすることができると思う。

稽古後は顔合せの飲み会。どんな美術にするのか、すでに妄想スイッチが
入っている田丸さんが何を聞いても上の空なのが、面白かった。

2004/10/17  日曜日
時間は無いっていうのに、「昼にどうしても打合せしたい」という連絡が入る。
昼は山の手の『夏の夜の夢』を観に行く予定にしていたのだが、
泣く泣く諦め、宏平さんに平身低頭のメール。

渋谷のルノワールで引き続き原稿書き。2本書き上げた時点で夕方5時。
今日はこれから横浜で三条会とA.C.O.Aを見なければならない。
この時点で今日中に後3本は絶対無理と判断。
締切りを無理やり一日延ばしてもらう。

三条会のギリシア喜劇『女の平和』は非常に多面性のある演出。
しかし、その多面性の入れ替わりを楽しめるというのは、
観客にとって少々高いハードルかもしれないなと思う。
三条会の作品を見るときは自分の教養とユーモアを試される感じがして、
それが僕なんかにとっては真剣勝負な感じで刺激的かつ楽しみなんだが・・・。

A.C.O.Aの『女中たち』は対照的にある一面でもって力押ししてくる面白さ。
しかも今回はその速度が意図的に遅くされている。
じりじりと押しつぶされていく感じ。そこが笑いを誘う。
しかし、その笑いの発生の後、手が尽きてしまったように感じた。
思い切って20分くらいカットしても良かったんじゃないかな。

終演後、挨拶もそこそこに横浜を後にする。ゼロアワー、ゼロアワー。

2004/10/16  土曜日
『ゼロアワー』で使う池波正太郎の文庫本三冊をバッグにつめ、出かける。

12時30分から自由が丘で風琴工房『風琴文庫』観劇。良企画。
でも、人の家を訪ねるというのは基本的に緊張するからね、
そこをほぐせればもっと違ったんじゃないかと思う。
まあ、でも僕がそのへんのことを考えられるようになったのは、
田丸さん達のおかげで最近のことだから、大きなことは言えない。

その後、新幹線で静岡へ。車中で池波を再読しながらラジオドラマの構成を組む。
終わらないうちに静岡到着。早いなあ、おい。
静岡駅でユニークポイント山田氏と偶然会い、一緒に静岡芸術劇場へ。

鈴木忠志演出によるチェーホフ記念モスクワ芸術座の『リア王』を観劇。
BBSにも書いたが、真摯なる取り組みとその成果に非常に感銘を受ける。
しかも、俳優のほとんどが20代前半から後半なのだ。
俳優を見つめる喜びに酔いしれた時間だった。

『ゼロアワー』が気になるので、終演後のパーティーを中抜けして帰京。
深夜、5本分の構成が決まり、「えいやっ!」と書き出す。時間は絶対的に足りない。

2004/10/15  金曜日
朝、上京。e-STATION BBのオンエア後、山の手事情社20周年記念公演へ。
三本立て(キチガイ!)のうちの一本、『JAM』を見る。
『JAM』は「ものまね」や「エチュード」など山の手が通常の稽古で
やっている訓練=山の手メソッドのデモンストレーション公演だ。
僕が演出助手をやっていた時代は、こんなことばかりやっていた。
今回はその頃の絶対的なエースだった清水宏さんが
山の手退団後、初めて登場するとあって、とても楽しみにしていた。

そして、清水さんが予告無く突然客席から登場して、
懐かしいテンションでまくし立て、毒をはきまくり始めると、
僕は、もう、なんともはや、笑いが止まらなくなってしまった。
「やばい、目立ちすぎる」と思って抑えようとしても、止まらない。

そんなわけで非常に懐かしく、また面白く拝見したのだが、
「今」の山の手をはっきりと感じられ、興味深かったのは「三題噺」だ。
以前に比べて、驚くほどクオリティが上がっていて、思わず感嘆した。
理由は二つ。一つは「空気感で場を持たせられるようになったこと」。
以前、面白いことしなきゃ、話を転がさなきゃの意識が前面に出すぎて、
空回ることが多かったのが、今日は全員がそれぞれのポジションの
空気感をきっちりと発し、芝居としての説得力があった。
そしてもう一つは、前者と重なる部分もあるが、
「物語に奉仕できるようになったこと」。
以前の山の手はいつもキャラ勝負といった感があったが、
それは陰をひそめ、物語の結末に向かってそれぞれが献身的に
役割を果たしていた。今回の「三題噺」では四つのグループが
15分程度の芝居を作ったのだが、どれもひきつけられて見た。
この「三題噺」のクオリティこそが清水宏さん脱退後の山の手が
獲得した成果の端的な証明であったように思う。

素晴らしいなと思った。素晴らしい蓄積!
劇団を続ける意義はここにあるのだなあと感じ入り、素直におそれいった。
この10年の山の手の苦闘を少なからず知ってる身としては
心から祝福の拍手を送りたい。おめでとうございます。

2004/10/14  木曜日
昼間、『サントリーシアター・ゼロアワー』のディレクターSさんから電話。
Sさんとは池波正太郎の食のエッセイをラジオドラマ化する企画を
進めていたのだが、その演じ手に我修院達也さんはどうかという連絡だった。
我修院さんといえば『鮫肌男桃尻娘』の山田であり、元・若人あきらだ。
瞬間的に「これならいけるのでは」という構成が浮かんだので、ゴーサインを出した。

夕方、我修院さんからもJ-waveからもOKが出たとの連絡。
「ただ・・・」とSさんは言いにくそう。
「収録日が来週の水曜で、週末までには台本が欲しいんですよね」
・・・えーと、週末にかけてスケジュールはびっちりなんですけど・・・。
金曜までは動けないから、土・日の二日間で、書けるのか。
まあ、でも、やるしかないわな。

2004/10/13  水曜日
午前中、巻き爪の治療のため皮膚科へ。
『夢乃プレイ』の千秋楽が終わった同時に、相当痛くなり、
歩くのにも支障が出るほどだったのだ。
両足の膝と足首、右足のアキレス腱に加えて、両足の親指もスクラップ。
大昔、占い師に言われた通り、本当に年を取るに連れ、足がガタガタだ。

即手術かと思ったが、しばらく治療しながら様子を見ましょうと言われる。
あー、まだしばらくこの痛みと付き合うのか、ちょっと憂鬱・・・。
しょうがないので、幅広の靴を買いに行くことにする。

帰宅後、これからのスケジュールを立てていく。
これは公演が終わった後の儀式みたいなもので、
次の企画に向けてゆっくりと頭が切り替っていく。

さてと、『こゝろ』どうすべえ。

2004/10/12  火曜日
朝5時まで渋谷で打ち上げ。その後、立川のアパートに戻り、2時間仮眠。

10時30分に学習院女子大学へ。A先生の「現代演劇」のクラスの生徒さんたちに
BeSeTo演劇祭の説明をし、ボランティアスタッフの編成を依頼。
結果、30余名の学生が手伝いをしてくれることになった。

15時からe-STATION BBの会議。19時過ぎの飛行機で宮崎へ帰る。

2004/10/11  夢乃日々後半
10(日)

今日は15時と20時の2回公演。どちらの回も満席。
今回の受付チームは明神さんが組織してくれたのだが、
皆さん、見映えするし優秀だしで、感心する。

ポかリン新制作のKさんは若いのにしっかりしている。
何より負けず嫌いなのがいい。将来が楽しみな逸材ですな。

マチネで演奏を軽くミスした棚川さんが、夜ではそのミスを挽回するかのような
鬼気迫る演奏を見せてくれた。その結果、ラストシーンがぐっと厚みを増し、
喜劇から悲劇へと変貌していく様がダイナミックに立ち現れた。

おもしろいよ、この合同公演。


11(月)

あっと言う間の最終日。今日は13時と18時から。おかげで朝9時集合。
本日も2回とも満席。初日の台風が悔やまれる。

今回の『夢乃プレイ』は僕にとって5回目の合同公演(ラ・ロンド除く)。
東京オレンジ、bird's-eye view、ユニークポイント、三条会、こふく劇場と
今まで様々なカンパニーと一緒にやってきた。
その全てが僕にとってとてもいい経験になっている。
今回も明神さんという独特な世界観を持った演出家と
長時間一緒にいれたのは、とても楽しいし、刺激的だった。

しかし、まあ、そんな楽しい時間も今日で終わるわけで、
千秋楽の最後、夢編の演奏家の木並さんも交えてのスペシャルセッションが
大盛り上がりしてのカーテンコールはちょっと感動的だった。

けれど打ち上げでは皆、疲れ果てていた。そりゃあそうだよな。
誰も彼もが限界への挑戦といった感じだったし。
僕自身のダメージもかなり大きい。

休みたい。休みたい。休みたい。

でも、休むわけにはいかない。
一ヵ月後にはもう次の本番だ。
遅れている『昏睡』の準備も取り戻さなければならない。
来年の三月が終わるまでは止まれない。
全ての公演を成功させたい。だから僕は休まない。

2004/10/9  夢乃日々前半
7(木)

山手ゲーテ座は文字通り、山の上にある。心臓破りの坂を上ると
右手にある瀟洒な洋館。それがゲーテ座のある岩崎ミュージアムだ。

10時から搬入。今回はポかリン記憶舎との合同公演だが、
演奏家以外のスタッフは共通なので、人数的にはいつもと同じ。
勝手知ったるメンバーがきびきびかつ穏やかに動いているのが心強い。
明神さんも意図的にOrtのまったりムードに合わせてくれている。

舞台美術・照明・客席が整った会場を見て、安堵する。
実は今回、客席の配置などでスタッフとかなりもめたのだが、
僕が「絶対にこれじゃなきゃダメだ」と押し切らせてもらった。
観客の動線、舞台の転換、俳優の出ハケなどの現実的な処理を
考えたときに、それがベストだったからだ。
その強引な決定に合わせて、ビジュアル的にも成立するように
苦労してくれた美術・照明スタッフには感謝したい。

しかし、この公演、間違いなく一番苛酷なのは俳優だ。
最後まで心折れることなくやり遂げて欲しい。


8(金)

仕込み二日目だが、倉迫はe-STATION BBのオンエア立会いへ。

17時に会場入りしたら、ちょうどプレイ編の場当たりが終わるところだった。
そして今日の夜はゲネプロその1。見学者の方が多く、本番さながらな雰囲気。
実はこのゲネが衣装をつけての初めての通しであったし、
楽器の響き方が稽古場とは全然違うので、
俳優の戸惑いは大きかったが、手応えもまた大きかった。

作品は良くなってきたが、明日は台風。心配の種は尽きず。


9(土)

午前中、昨日のゲネの反省を踏まえ、楽器と声の音量の調整をする。
プレイ編・夢編ともに稽古に予想以上の時間がかかり、ゲネは1時間押しに。

ゲネが近づくに連れ、強くなっていく雨足。今日の公演は19時から。
ちょうどお客さんが出かける時間が台風のピークになりそうだ。
公演中止の可能性、上演中の停電の可能性への対応策を考える。

ゲネ2の出来はあまり良くなかった。会場の外の不安感に負けた感じだ。

とにもかくにも一人でもお客さんが来たら上演決行と準備開始。
しかし、あまりの雨の強さのため、岩崎ミュージアム前のバス停は倒れ、
半地下にあるゲーテ座本来の入り口は浸水し、水びたしになってしまった。
そしてそんな状況の中、14名のお客さんがゲーテ座にたどり着いてくれた。
開演時刻を30分遅らせていたので、急遽、1階のサロンで
僕と明神さんとSTスポット館長の田中さんとでビフォアートークを開催。
せめてもの感謝の印にコーヒーや紅茶などをふるまったりもした。

台風が通り過ぎた19時30分、公演開始。芝居は予想以上に締まった出来となった。
ここにきて演奏の棚川さんのパワーがぐんぐん上がり、
他の俳優もそれに連れられてどんどんとパワフルになっている。

公演後は中華街で初日乾杯。気持ちよく飲んだ後、僕は横浜のホテルで沈没。
プチ・ツアー気分。ああ、もっと遠くの街に芝居しに行きたいなあ。

2004/10/6  水曜日
17時から衣装合わせ。18時から19時30分まで稽古。
まだ出来上がってない部分があるが、それはもう会場で作る。

20時から夢編・プレイ編を初めて続けて通す。
なんというか、ものすごくボリューム感のある公演になった。
プレイシリーズのモットーは「サービス過剰」であるなあと
あらためて思った次第。仕込みとリハは大変だ、こりゃ。

2004/10/5  火曜日
午前中の飛行機で、東京に戻る。
e-STATION BBの会議に出た後、にしすがも創造舎で稽古。
4時間の稽古の間に二度通す。俳優はボロボロ。
しかし、演技・演奏とも俳優の身体に定着化していっている。
明日が最後の稽古。

2004/10/4  月曜日
午前中の飛行機で宮崎に戻り、県が主催する文化懇談会に出席。
顔ぶれを見る限り、自分が一番しがらみがないので、少しだけ刀を抜いてみた。

行政と出会う場は常にネゴシエーションの場であることを
芸術家サイドも肝に銘じておかなければダメだと思う。
「懇談」などありえない。常に「交渉」であり「折衝」なのだ。

この日は宮崎にそのまま泊まる。

2004/10/3  日曜日
よおおおおおし!!!

と思わず叫びたくなりましたよ、今日の通し稽古は。
今日は18時からの稽古で19時30分からと21時からの2回通したんだけど、
2回目の通し!化けました!なんだよ、この芝居、おもしれえじゃん!

もちろん、本番に向けてまだまだやるべきことは沢山あるんだけど、
この確信があるのと無いのでは大違い。あとは迷わず磨くのみ。

今までは少々遠慮気味だったけど、今日からは声を大にして言います。
『夢乃プレイ』、おもしろいです!横浜まで来て、損はさせませんぜ!!

2004/10/2  1日と2日
1(金)

e-STATION BBのあとは西巣鴨で稽古。
エントランスの様子がいつもと変わっている。
今日からにしすがも創造舎の稽古場運営が本格的に始まったのだ。

今日の稽古では演奏よりも演技部分のチェックに時間を費やす。
今までは演奏に重点を置いていたので目をつぶっていたけど、
そろそろ演技の精度を上げていかなきゃ。
すると演技自体はだいぶすっきりとした感じに仕上がった。
これに演奏を合わせると、どんな相乗効果が生まれてくるのか、楽しみだ。
しかし、まだラストシーンはできていない。明日、明後日が勝負だ。

帰宅後、久々に爆睡。何人かの人からの電話にも全く気付かず。


2(土)

朝10時に学習院女子大学に集合。
BeSeTo演劇祭の会場の一つである学習院女子大学やわらぎホールを、
運営委員やスタッフ、上演団体の皆さんと見学する。
やわらぎホールはつい先日、竣工したばかりの新しい施設。
ホールと名はついていても、基本的に講義室なので劇場としての
物足りなさは確かにある。でも僕はこれならなんとかなると思えた。

その後、12時30分から早稲田大学学生会館でBeSeTo演劇祭参加団体の全体顔合わせ。
急遽決めた顔合わせだったが、21団体が参加。有意義なものになったと思う。
そして、ここでもN君率いる第七劇場ががんばってくれていた。感謝。

顔合わせを途中で抜けて、稽古場へ。まずはラストシーンを作る。
ようやく50%ぐらいできた。あと50%は明日。
そして稽古後半は、ラストシーン手前まで演技と演奏を合わせていく。

・・・あー、良かったあ。ようやく光が見えてきたよ。
やっと演技と演奏のマリアージュが起き始めた。
わかんないことだらけだったこの作品が自分の中で整理されてきて、
少し安堵した。とはいえ、いまだ美術とか衣装とか不確定要素は多い。
まあ、でもイクコさんとるうさんなら大丈夫だろうとも思う。

スタッフワークはOrt-d.d上演作品の魅力の一つになっているが、
11月の『こころ』は物理的な条件からもスタッフワークには凝れそうにない。
準備期間も仕込み期間ももう全然無い。とはいえ、そのことを嘆くよりもむしろ
「俳優のみでシンプルに作る面白さ」という原点に回帰しようと思う。

2004/10/1  9月29〜30日
29(水)

今日の16時からは早稲田大学でBeSeTo演劇祭の記者会見が行われた。
出席者は早稲田大学副総長に演劇博物館長に鈴木忠志さん、宮城聰さんなど。
参加者によると、なかなか鼓舞される内容だったそうだ。
そう、残念ながら倉迫は参加できなかったのだ。
その時間は田丸さんと西巣鴨でラストシーンを作っておりました。

急遽、兄に呼び出されて、19時過ぎに池袋で会う。色々と家の事情の話。

深夜、アゴラ劇場の提携書類を前にして考え込む。
実は今回、「Ort-d.d MAMA's THEATER」という企画を提出しようと考えていた。
これはアゴラの5階を利用しての全託児付き&4歳以上入場可の
平日マチネを基本とした長期公演を実験的に行ってみようという企画だった。
というのも、僕らの世代あるいは小劇場ブームの時代に観客だった人の
ほとんどが今、親になっていて、小劇場での観劇がままならなくなっている。
かといって託児のある商業演劇は若い夫婦にとっては値段が高いだろう。
そんな「結婚前は演劇好きだったけど、今は行けない」という人が
案外多いのではないかと考え、アゴラの制度とNPOとの連携などを利用して、
安価にそういう観劇環境を用意してみようと思っていたのだ。
演目は以前からやりたいと思っていた『オズの魔法使い』ならいける。
託児の方でも単に預かるだけでなく、『オズ』の紙芝居を読んであげたり、
あるいは『オズ』の絵本を物販すれば、親子で終わったあと話も出来るし、
帰宅した旦那さんにも楽しく報告できるだろう・・・。

とアイデアはほとんど固まっていたのだが、悩んだ末、提出を取りやめた。
理由は来年度以降の身の振り方が決まっていないからだ。
『昏睡』が終わらないと今後が見えてこない。
成功したときと失敗したときではやるべきことが全然変わってくる。
また家庭の事情としては娘の教育問題もある。この責任も大きい。

アイデアのみではギャンブルは打てないというこだ。
何があっても歯をくいしばれるかどうか、その確信が今はまだ持てない。


30(木)

e-STATION BBの原稿を書いてから、早稲田大学へ。
大隈会館で大学側を交えてのBeSeTo演劇祭の打合せ。
加速度的にいろんなことがはっきりしてきている。
もちろんそれは問題点が浮き彫りになることでもある。

最近、運営チームに早稲田の現役の学生でもある第七劇場という
劇団の主宰のN君が加わってくれたのだが、彼の優秀さには
しばしばうならされる。人材というのはいるものだなあと嬉しくなる。

都電荒川線で早稲田から西巣鴨へ。明神チームの稽古を見学。
感想はBBSに書いた通りだが、「空気感」を越えた「世界観」の強度を
演出家と俳優が共有できたら、夢編はさらに化けると確信した。

じゃ、プレイ編は?・・・が、が、が、がんばりますぅ。

2004年10月過去ログKurasako's Diary
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