2002/5/22
退院。 |
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『きっもちいい〜!!』
6月も終わりに近づき、梅雨の合間の太陽が顔を出した退院前日、ノリチャンと私は病院の屋上でシャバの空気をおもいっきり吸っていた。整備されている屋上は緑がたくさん置いてあり、ベンチもあって、とても気持ちがよかった。 いよいよ明日退院。期待と不安。なんだかんだいっても、病院での生活は助けてくれる人がたくさんいた。明日から一人。一応ダンナはいるが。。。 私にできるのだろうか?
『気持ちいいね〜』とノリチャン。 『もう、夏だね!』と私。 偶然にも同じ日のほぼ同じ時間に同じ体験をしてしまった私達は運命共同体とでも言おうか、何か目に見えない絆を強く感じていた。明日からはそれぞれの家庭でそれぞれに子育てをしていかなければいけない。当たり前のことなのだが、寂しかった。不安だった。でも、心強くもあった。きっと彼女がいれば、私はがんばれる。神様がいるならばこんなステキな出会いをつくってくれたことに感謝したい。
『そろそろ戻るか。』 『そうだね。』
病室に戻ると、中村さんが自分の子供を抱いたまま、保育器の中で泣き叫ぶピィスケをあやしていてくれた。 『ワッ!ゴメンナサイ!!』 『うん、大丈夫よ。ピィちゃん、泣いちゃって…』 屋上で遊んでいる間に自分の子供の面倒をよそ様に見させているとは、、、全く先が思いやられる…
ピィスケには頭に二つコブがあった。頭血腫といって、お産のときに産道に頭をぶつけてきたときにできたものなのだそうだ。半年もすれば頭に吸収されて治ってしまうとのことだったが、丁度鬼の角のように2箇所にあったため、とっても目立っていた。 『アトムみたいだな!』検診で回ってきた先生が笑いながらいった。 『先生笑い事じゃないよ〜 本当に治る??』 『大丈夫、大丈夫。』 ホントかよ〜
ピィスケといい、アトムといい、あだ名はたくさんあるのに、肝心の名前は退院前日になってもついていなかった。 『いい加減、決めようよー』ダンナ相手にいつもの言葉。 『お義母さんが考えてくれた、ユウヤかユウトのどっちかでいいじゃん。いつまでもピィスケじゃかわいそうだよ〜』 『焦るな!まだ日にちはある!!』 まったくのんきなダンナである。
『それより、お前、明日何時に迎えに来ればいいんだ?』 『一応、午前中の退院を考えている。お昼ご飯に肉食べたい。』 なぜか、この病院肉食メニューがほとんどなかった。どちらかと言うとお年寄りむけ?とにかく肉類に飢えていた。 『わかった、わかった。それじゃ、10時すぎに来る。』 『うん、お願い。』 『そうそう、お部屋キレイになってる?』 『おう、バッチリだ!』 『よかった。一応新生児だからね。清潔にしなくちゃ。』 『大丈夫、明日も掃除してからくる。』 そう言い残して、ダンナは帰った。
最終日の夜、部屋の中では明日退院組の三輪さんと私、居残り組の中村さんでペチャクチャとおしゃべりをしてた。 『い〜な〜、私も早く帰りたい…』と中村さん。 『でも、この部屋中村さん一人きりになっちゃうね。』 『きっと、ノリチャンの部屋の人が越してくるよー』 『そうだといいけど…』
『そうだ!この食べきれなかったお菓子、中村さんもらってやってくれない?』 荷物整理をしつつ、溜まりに溜まったお見舞いのお菓子を中村さんのところへ持っていった。 入院生活で何が大変だったかって、お菓子攻撃には本当に参った。お見舞いに来てくれた人が持ってきてくれたお菓子。もちろん一人では食べきれないから部屋の人にも配る。しかし、それぞれ皆お見舞いにいただいたお菓子はあるわけで、それがまたまた皆に配られ、食べても食べても引き出しの中はお菓子でいっぱいだった。 (友達に子供が産まれてお見舞いに行くとき、私は絶対に菓子折りはもっていかない!) 今回の入院の教訓である。
退院の日、退院の手続きやピィスケの退院のための最終検診などで慌しく時間はすぎていった。ノリチャンは午後退院とのことだったのだが、挨拶もそこそこにバタバタと病院をでた。この日の為に買ったピィスケのベビー服はヒヨコの柄だった… 家までの距離およそ3分。恐々と赤ちゃんを抱きながら、ヨロヨロと歩いた。ピィスケは始めての日差しにも不器用な抱き方をしている母にも関心がないようで、いつもと変わらず寝てた。
やっとのおもいで家のドアをあけ、ピィスケをベットに寝かして、一安心… 『ブ〜ン…』 『ん?』 『ブ〜ン…』 『えっ!』 『ブ〜ン…』 『ちょ、ちょっと! なんでコバエがこんなにいるのよ!!』 『今、入ったんだろ。』 『ヤ、ヤダ〜、何このビールのあき缶!ごみの日に出さなかったの?? コバエがタマゴ生んでるじゃん!! ぎゃぁ〜!!!!!!』
こうして、退院早々大掃除をする羽目になったのだった…
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